経営再建のための、OFFICE K との契約期間は半年。
それもいよいよ最終日となった。



冷徹で情け容赦なく見えた手塚の辣腕には
当初、反発の声も少なからず聞こえてきた。
しかし、たった半年で結果を出したのには
さすがだと認めざるを得ないようで
今はもう異を唱える者は誰一人いない。



無理と無駄の無いプラン。
膨大なデータの分析結果からの予測の正確さ。
周りの人間を納得させ、動かしていくカリスマ性。etc・・・
結果を出すための、彼のもつ華やかな才知ばかりがクローズアップされがちだけど
その裏には人知れない苦しみと、人の何倍もの努力があるのだということを私は知っている。


これまでの半年間、手塚は
人や業務を切捨てる痛みを、まるで自分のことのように受け止めて苦悶していた。
そんな彼を知る者は
おそらく・・・手塚と共に動いていた数人のスタッフたちのなかにも居なかっただろう。



―厳しい状況を先導する自分は常に冷静で強くなければいけない。
 迷いや弱さを見せてはいけない。不信を招くだけだから―



呻くように呟いて、拳を握り締め
窓の外を見つめていた手塚の横顔を私は忘れる事が出来ない。
そう、彼にだって弱さも迷いも憂いもあるのだ。
そして… 分かりにくいけれど、情けに厚く優しい。
業務外であるにも関わらず、密かに
リストラされた者や依願退職者のアフターフォローをしていたのだから。



そんな手塚の背中が泣いているように見えて・・・
思わず抱き締めてしまったその夜。
私は初めて彼の部屋で朝を迎えた。
それまでにも彼と抱きあって過す甘やかな夜はあったけど
朝まで一緒に過した日はなかった。
柔らかい朝の陽光と、彼の「おはよう」で目覚めた朝。
小鳥のようなキスを何度も交わす一時はとても幸せだった。



それから、数え切れない週末を共に過した。
仕事をしているときとは全く別の甘く蕩けるような時間。
オンとオフのギャップに萌える、とでもいうのだろうか。
皆の知らない手塚の顔を自分だけが知っているという
秘めやかな優越感はオフィスラブの醍醐味かもしれない。



でも それも今日で終りだ。




「皆 本当にご苦労だった。よく頑張ってくれた。ありがとう。
危機的状況は一応脱したものの、社会情勢はまだまだ厳しい。
油断することなく、一層励んで盛り立ててもらいたい。
君達の活躍と御社の発展を心から祈っている」



解散、と歯切れのいい声が響いた後、自然と皆から沸き起こった拍手は
前向きな思いに溢れ、活力に満ちていた。
その拍手に送られて、手塚は私たちの前から去っていった。











「お疲れさまでした」
「君も」



合わせたグラスがキィンと透き通った音を奏でた。
初めて出逢った、あの夜のように。



「もう手塚さんが社に来ないと思うと少し… 寂しい」
「少し、だけ?」
「・・・すごく。ううん、ものすごく盛大に!」
「大変結構だ」



そう言って声を上げて笑った手塚が「確かに・・・」と言葉を続けた。



「寂しい気はするな。スタッフも皆、優秀で気のいい者ばかりだったからな」
「うん」
「でも 正直なところ ホッとしているぞ」
「仕事が上手くいったから?」
「それもあるが・・・」
「?」
「もう君の運転する車に乗らずにすむ」
「ああー!それひどいっ!運転しろって言ったの、貴方でしょう?!」
「理由にならんな。何時までも慣れない君が悪い」
「慣れないわよ!普段左ハンドルの車なんて運転しないもの」
「だから、車は君に預けておくから好きに使えといっただろう?」
「使えるわけないでしょう?!車よ?車。自転車貸すみたいに言わないで」
「・・・そうか?大差ないと思うが」
「大有りです!」



こんな風に価値観の違いに驚くことも、ちょくちょくあった。
妙に細かいかと思えば、呆れるほど大雑把なところもあったり。
気の張るばかりな毎日だったけど、こんな何気ない会話が楽しくて
そのたびに手塚への想いが深くなっていった。



「それと・・・」
「まだあるの?!」
「君を君と呼ばずに済む」



オンでは何の感情も篭らない声で事務的に「君」と私を呼んだ手塚も
オフでは これ以上ないほどに艶めいた声で「…」と呼ぶ。
甘やかな余韻を残しながら。







そう、こんな風に。



…」


あぁ、そう。 この吐息とも何ともいえない余韻がいいのだ。
今夜もまた こうやって呼ばれ、甘く切なく求められるのだと思うと
否応なく身体の奥が火照ってしまう。



!」
「・・・は、はい?」
「どうした?ぼーっとして」



もう酔ったのか?と私の頬に触れた手塚の左手のひんやりとした冷たさが心地よかった。



「まだ全然酔ってないけど、手塚さんの手・・・ 冷たくて気持ち良い」



添えられている掌に甘えるように私は頬を押し付けた。



「なあ・・・
「ん?」
「俺はいつまで「手塚さん」なんだ?」
「あー…」



まさか手塚がそんな事を気にしているとは思わなかったけど
言われてみれば、確かにそれもどうかと思わなくもない。
これまでは仕事を一緒にしている関係上、公私ともに手塚さんと呼んでいたけれど
仕事での関わりはもう無くなった。あるのは男と女、恋人としての関係だけだ。



「別に どう呼んでもらっても構わないが・・・」



一旦言葉を噤んだ手塚は、私の頬から肩に手を回して緩く抱き、耳元に唇を寄せた。



「ちょっと余所余所しくないか? もう他人じゃないだろう?俺たちは」
「それは!・・・まぁ そうだけど」



その時だった。
聞き覚えのある声が 聞きなれない敬称で手塚を呼んだ。




「あれ・・・? もしかして部長?」



その声に向き直った手塚が呼んだ名前に、私は一瞬で凍りついた。



「越前」

「どーも」



振り返って確かめたいと思った。
けれど、そうしなくてもおそらく間違いないだろうとも思った。
越前リョーマ。 
昔の男。笑って挨拶を交わせるほど昔の・・・とは言えないけど。



「久しぶりだな」
「ご無沙汰っす」
「元気そうだな」
「部長はまた一段と老けましたね」
「うるさい」



気安いやり取りからして、二人は知り合いのようだった。



「全米、見たぞ。勝ち急ぎがミスに繋がったな」
「・・・」
「格下だと思って なめてかかるからだ」
「・・・次は負けないから」
「油断するなよ?」
「わかってる」
「今は休暇か?」
「まあそんなとこかな。来月のジャパンオープンは出るけど」
「そうか。調子はどうだ?」
「ぼちぼち」
「勝てよ」
「当然。日本で負けるつもり、無いから」
「相変わらずだな」



どう考えても知り合い以上の間柄らしい二人の会話を背中で聞きながら
彼らが知り合いであることを恨めしく思った。
無関心を装いながら、心から願った。
後ろの男が自分に気付くことなく立ち去ってくれることを。



「ん? あれ?・・・?」



・・・万事休す。
思わず小さく漏れてしまったため息を、手塚に気付かれなければいいと思った。
リョーマは空いていた私の隣のスツールに浅く腰をかけてカウンターに肘をつくと
私の顔を覗きこんで「やっぱりだ」と声を上げた。




「・・・どうも。お久しぶり・・・です」
「ふーん」
「?」
「世の中ってホント狭いね」
「なに?」
「へえ、部長とがね・・・」
「あの」


「越前」



ただならぬ雰囲気を察したのだろう。手塚が声を上げた。



「紹介する。彼女はさんといって・・」
「知ってる!」
「え?」
「今更紹介なんて要らない。よーく知ってるから。 ね?そうだろ?
「・・・知り合いなのか?」



問いかけた手塚の視線は私に向けられていた。



「ええ・・・ 以前 ちょっと」



そう答えるのが精一杯だった私とは比べものにならないくらいリョーマは饒舌だった。



「ちょっとじゃないだろ?1年?2年?いや、もっとか?付き合ってただろ、俺たち」
「リョーマ!」
「一緒に暮してたことだってあるじゃん」
「違うわ。あれは泊めただけでしょう!」
「違わない。やることは一緒じゃん」
「リョーマっ!!」


「越前!  ・・・もういいから、行け」



お前の連れだろう?と手塚は後で所在無さげに立っている女性を見やった。



「そうだった・・・」



小さな舌打ちをして、リョーマは腰を上げ踵を返した。



「部長」
「何だ?」
「あのさ」



返した踵をもう一度返して、手塚へと歩み寄った。



「知りたければ教えるよ?のこと。きっと俺の方が色々知ってる」
「ほう、付き合った年数すらまともに憶えていないお前に、一体何を訊けと?」
「っ・・・」
「・・・・・・」



二人の間の重苦しい沈黙は やがてピリピリとした緊張感に変わった。



「ま、いいけどね」
「何がだ」
「別に。こっちの話」
「おい」
「じゃ」



リョーマはこちらに背を向けると、ひらひらと手を振って
連れらしい女性と一緒に店を出て行った。



「俺たちも出よう」



それがいいと思った。何となく気まずい雰囲気が漂う中で
この後を過す気にはなれなかった。
促されるまま、私も席を立った。












店を出るときに繋がれた手はタクシーの中でも、降りても放されることはなく
手を引かれるまま、連れて行かれたのは彼の部屋だった。



「座って」
「あの、私」
「いいから、座って」
「でも」
「座れ」



鞭の一振りのような鋭く短い一言に観念して
言われるがままにソファに座わると、ようやく手が放された。
手塚はテーブルに腰を下ろして、私と向い合った。



「君にどんな過去があろうと問題じゃない。誰とどんな付き合いをしてきたか、もだ。
戻せない時間や消せない事実をどうこう考えても、どうにもならないからな」

「でも」
「ん?」
「まさかリョーマと手塚さんが知り合いだったなんて・・・」



こんなに稀で 意地の悪い偶然なんて要らなかったのに。



「気まずい、か?」
「私より貴方が」
「俺か?俺は・・・そうだな」



手塚は項垂れて、ふぅっと深くため息を付いた。



「気にならない、と言えば嘘になる」
「やっぱり・・・」
「終ったことだと頭では理解できていても、割り切れないところもある。
でもそれは君のせいじゃない。俺の問題だ」
「ごめんなさい」
「謝ることじゃないだろう?」
「でも、ごめんなさい」



手塚の言う通り、謝ることじゃないし、謝る意味もないのはわかっていた。
でも謝らずには居られなかった。
それ以外にどうしていいのか、分からなかった。



「・・・・・・」



途切れた会話の後の重い沈黙と手塚の視線に耐え切れなくなった私は
俯いて膝の上で両手を握り締めた。
その時だった。突然立ち上がった手塚が私の腕を強く引いた。
前のめりになりながら立ち上がった私の身体は手塚の腕に抱き止められた。



「越前と過した時間も、君の一部だ。
それが欠けていたら 俺は君を好きにならなかったかもしれない。
ヤツとの時間が 今、此処に在る君の・・・
こんなにも愛しい君を作る一部であるのなら厭えない。悔しいけどな」



あぁ この人はなんて・・・



「ごめんなさい」



いいから、謝るな。と手塚は私の背を優しく撫でた。



「越前と過した時間よりも長い未来を一緒に過ごそう」



それに私が答えるより早く唇が重なった。
キスの温度が上がるのも、いつもよりずっと早かった。
私はただ置いていかれないようにするのが精一杯で
唇を離されたときには 軽く息も上がってすっかり上せてしまっていた。



「まったく・・・厄介だな」
「?」
「嫉妬ってやつは」



私を見つめる手塚の瞳は熱く潤んで、どきっとするほど艶めいていた。



「手塚さん・・・」



「国光、だ」
「え?」
「国光と呼ぶまで帰さない」
「そんな。急に」
「アイツのことは今もリョーマと呼ぶのに?」
「あ・・・」



意外だった。あの手塚でもこんな些細な事で妬くんだ、と。
これまでの手塚からは考えられないけど
もしかすると子どもみたいに拗ねたり
わがままなところもあるのかもしれない。
他にも呆れちゃうようなことや 信じ難いことだってあるかもしれない。
そうよ、完璧で完全無欠な人間なんて居ないのだから。




「私ね」
「ん?」
「もっともっと貴方を知りたい。そして 解りたいわ・・・国光」



誰より貴方を解っているのは私だと
誰より愛しているのも私だと
世界中に胸を張って言える自分でいたい。



「教えてやる。何もかも 全て」
「国光」
「先ずは どれほど君を愛しているか、だな」



甘やかなキスは始まりの鐘。このあとは・・・




End






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