「入って」 と開けられたドアが閉まるより早く、攫われるように抱きしめられた。



「やだ!放して」



男性にしては少し小柄な彼だけれど、鍛えられている胸と腕は
少しくらい抗ってもびくともしない。



さ、 拗ねてるんでしょ」
「は?」
「だから空港にも来なかったし、あんなメールも。そうなんでしょ?」
「違うわ。そんなんじゃない」
「結構可愛いトコ、あるじゃん」



そんな風に思われていたのか・・・とため息が出る。
今更そんな子供じみた駆け引きなどしようとは思わない。
リョーマとの関係をあんなに考えて悩んだ事が全部虚しく思えてくる。



「ご無沙汰したしね。その分、今夜は可愛がってあげる」
「やめて。そんなんじゃないって言ってるでしょ」
「どうして?だってそのつもりで来たんでしょ?」
「お願いだからもう黙って。これ以上私を幻滅させないで!」
?」
「私は話をする為に此処へ来たの。ちゃんと聞いて」

「…わかった」


私の剣幕に気圧されたのか、彼は ふぅ と大きなため息を吐き出して
ベッドに腰を下ろし後ろ手で上体を支える。


「で、何?」



大きな瞳で睨むように見据えられ、私は一瞬怯んでしまう。
抱えたバッグをぎゅっと抱きしめてその中の小さな紙片に力を貸して、と祈る。



「…もう終わりにしたい」
「終わりって?」
「だから…別れたい」
「どうして?」
「どうしてって…」
「理由、あるでしょ?あるから別れたいんでしょ?」
「もう 疲れた」

「何それ?俺がいつを疲れさせるようなこと、した?
束縛もしないし、仕事にも口出ししないし、プライベートの邪魔もしてない。
結構理解あるイイ彼氏だと思うけど?何が不満なわけ?」



言葉の上っ面だけを聴けば、なるほど理解あるいい彼氏かもしれない。
でもその中に私に対する抑えきれない感情や熱情は感じられない。



「私を愛してないから」
「はあ?」
「貴方は私でなくてもいいんでしょう?」
「何言ってんの?だよ」
「それが嫌なの。私は私だけを愛してくれる人を愛したいの」



あの夜のあの人のように全身全霊で私に挑んできてくれる人を。




「なに?」
「あのさ……男、できた?」
「そんなわけ……あ!」



両方の手首を強く掴まれてベッドに薙ぎ倒され
圧し掛かってきたリョーマの身体に両手足の動きが封じられる。



「いいよ。隠さなくて」
「違う!」
「ねえ、
「なに?」
「その男とはもう寝たの?」
「………」
「寝たんでしょ?」
「………」
「どうだった?ソイツ」
「………」
「俺とどっちが好かった?」
「最低!」

「アンタもね」



リョーマは吐き捨てるように言うとあっさりと私の上から退き
隣のベッドに寝転がって「バイバイ」 と低く呟くと
もう用は無いとばかりに私に背を向けた。


そんな彼に さよなら、と小さく答えて私は急いで部屋を出た。



結局 リョーマは本当の恋をした事がないのだと思う。
夜も日も明けぬほど焦がれ、熱病に浮かされたような虚ろな心地。
恋の病と称されるその熱い想いを彼はまだ知らない。
いつかその情熱の全てを注ぐ相手に出会った時、きっとわかる。
その相手が私でなかったのは残念だけれど・・・。



じわりと熱を持った目頭に滲む涙を振り切るようにアクセルを踏み込んで
自分の部屋に戻るなり、私は倒れこむように眠ってしまった。
別れの苦さよりも何か大きな仕事を終えたような安堵感と
圧し掛かってくるような疲労感しかなくて、とにかく眠りたかった。



翌日、目が覚めて、何か変わったかと言えば
何も変わらない日常があって、何も変わらない自分が居る。
別にどこも痛くないしお腹もすいている。
鏡に映る姿にも変わりはない。
元々会えない時間の方が長かった付き合いだ。
毎日の生活にさほど影響はない。


なぁんだ。別れたって、たいした事ないじゃん。


別れた後の喪失感や悲壮感のあまりにも無い事に自嘲して
いつもより少し早く出勤し、バックの中の小さな紙片をシュレッダーにかけた。



「こっちも…サヨナラ」



待っている、という言葉にときめいたのは事実だけれど
あんな出会いだ。彼は私を割り切りの良い遊び馴れた女だと思っただろう。
だからこそ 「待っている」 のだ。
でも残念ながら、私はその期待に応えられるような女ではない。
あの夜は勢いであんな事になったけれど、なんとなく罪悪感と後悔があるのは
元々恋を楽しむ器用さなど持ち合わせていないからだ。



「慣れない事はするものじゃないわね・・・」



本当に別れの辛さを実感するのはこれからだと思う。
それは日が経つにつれじわじわと大きくなり
じくじくとした痛みをも伴って増していくだろう。
恋の痛手は恋で癒せと言うけれど
今の私に「はじめまして」で始める恋をするパワーはない。
幸い私にはやりがいのある仕事がある。
しばらくは仕事一筋で生きるわ、と気合を入れたのに
その気合をそがれるような事件が起こった。



会社の一部の上層部による横領疑惑が大々的に報道されたのだった。



ここ数年、大事には至らないまでも操縦士の凡ミスや整備不良などが続き
評判も業績も右下がりだったが、誠意ある謝罪と対応と
徹底した再教育でなんとか乗り切ってきた。
でも今回の事件はそうはいかない。
しかも内部告発とあっては取り繕うこともできない。
”疑惑”の二文字が取れるのも時間の問題だ。
即座に株価が下った。
顧客からの信頼は言うまでもなく業績も下がるのは必至だ。
今以上に業績が下がるような事があれば会社の存続すら危ぶまれる。
倒産だの吸収合併だの、そんな噂を書き立てる週刊誌も出始めた。



事態を重く見た会社サイドは大幅な経営改革をすべく
コンサルタントを雇い入れ対策室を設けた。
社内にはピリピリと張り詰めた空気が流れ
社員は部署の移動や減給や中にはリストラに怯えだす者も出始めた。
とても意欲満々仕事に精を出せる雰囲気ではない、とため息が零れる。
それでも何もお達しがない内はルーティンの業務はこなさなければならない。
人材開発部門にいる私にはこれからが本番のリクルーターの仕事がある。
学校側との日程の調整等、やることは山ほどあるのだ。
こんな状況だからウチを希望する学生は少ないだろう。
だからこそ私たちが頑張って良い人材を獲得しなければならない。
ため息などついてはいられない。よし!と気合を入れたその時だった。



私は上司に呼ばれ、対策室へ配属になったことを知らされた。
中堅社員から4、5名が選抜され
向う半年間コンサルタントと共に仕事をするのだという。



「ウチの部署からは君に決定したんだよ。よろしく頼む」
「私ですか?!」



嫌とはいえない宮仕えの切なさを感じるのはこういう時。
せっかく次の仕事への準備を始めていたというのに・・・。



「ウチとしても今 君を取られるのは痛いんだけどな。
ウチからは有能で信頼できる女性社員をという事だから・・・まぁ頑張ってくれたまえ」
「はあ・・・」
「今日の午後イチで召集がかかってるから、A1会議室へ行くように」



上手い言葉を隠れ蓑にして厄介ごとを押し付けられたような気がしないでもないな、と
へこみそうになる気持ちを何とか持ち上げて向かった会議室で
私は思わず声を上げそうになった。


正面の椅子に腕組みをして座る彼は紛れも無くあの夜の 手塚 という男だったから。




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