「今日から諸君と一緒に仕事をすることになった手塚です。よろしく」



こんな声だったっけ?と思うほど硬質な冷たい声と
涼しげで切れ長だと感じた目元は、涼しげというよりは冷酷さすら感じるほど鋭く
放たれる鋭利な切っ先のような視線に圧倒される。
無造作に額にかかる髪は同じだけれど、その面差しの印象はまるで別人の様で
会議中だというのに、まじまじと見入ってしまう。


なんとアメリカのH大卒でMBAを取得したというこのエリート中のエリートは
ネクタイで締められた襟元にも、ピンと張った肩にも一分の隙もない。
蒼白い冷たい炎のようなオーラを纏っているようで、近寄りがたささえ感じる。
ピシリピシリと無駄なく要点を言い放つ様は
最上級の使い手から放たれる鞭の一振りのように鋭くキレがある。
あの夜の艶めいた甘やかな口調など微塵も感じられない。


これがあの夜のあの彼と同一人物なの・・・? 信じられない。



「…何か質問でも?」


そこの君、と視線に射抜かれた一瞬は心臓が止まったと思う。
失態。こんなに凝視すれば不審がられても仕方ない。



「い、いえ!あ…ありません!」
「なら結構。…君の名前は?」
です」
「部署と担当は?」
「人材開発部で、新人採用と教育を担当しております」
「なるほど、目利きというわけだな」
「いいえ!とてもそこまででは・・」
「キャリアは?」
「4年目になります」
「運転は?」
「え?」
「車の運転だ。できないのか」
「…いえ、できます」
「では君、だったな。君には今から私の補佐を務めてもらう。よろしく頼む」
「え?あの…」
「という事で、これ以降、他の諸君はそれぞれに動いてもらおう。
明日の朝9時にまた此処に集まってくれ。以上だ」



わらわらと散会しドアを流れ出ていく人の波に揺られながら立ちすくむ私が
「君は私に同行してくれ」と声を掛けた男の背を追いかけて着いたところは
オフィスビルの地下にある駐車場だった。
その男…たった今、私のボスとなった手塚は、助手席のドアを開け
脱いだ上着をリアシートへ放り込むとさっさと助手席に座り込んだ。



「あの…」
「運転はできるんだろう?」



運転しろ、という事か。
差し出されたキーを取り仕方なく運転席側へと回りながら
気付いた事実に一抹の不安がよぎる。



「あの」
「まだ何か?」
「これ、左ハンドルなんですが」
「それがどうした?」
「えーっとですね。左ハンドル車の運転は未経験でして…」
「なら、早く慣れてもらおう」


鬼…! もぅどうなっても知らないから。



半ばヤケで私はシートに座り、イグニッションに差し込んだキーを回した。



* * *




「驚いたな・・・」



独り言とも取れる呟きにどう答えていいものかを迷いながら
黙って次の言葉を待つことにした。



「まさか君とこんな形で再会するとは」
「気付いてたの?!」
「当然だ」
「だってそんな素振り、全然・・・」
「ほぅ、あの場でそういう素振りをした方がよかったか?」
「…いいえ」
「だろう?」



クスクスと楽しそうに笑う声はあの夜と同じだ。



「心配するな。情事を他人にひけらかすほど無粋じゃない」
「当然です!ホントにもう・・・こんな事になるなら、なかったことにしたいくらい」
「それができたら、人間は後悔と反省をしなくなるだろうな」



そんな話をしてるわけじゃないけど、なるほどね。その通りかもしれない。
…って納得してる場合じゃない!



「なら、忘れてください」
「それは無理だ」
「どうして!」
「なぜ忘れなければならない?」
「わからない?これから上司と部下として仕事をするのよ?」
「そんな事か」
「そんな事って!」
「つまらない事じゃないか。あの夜に比べたら」
「比べるとか、比べないとかそういう事じゃ・・・」

「素晴らしい夜だった・・・」



何かに陶酔しているように深いため息で締められた一言に
全身がかあっとと熱くなる。ドキドキと跳ねる鼓動が
平常心と判断力を奪っていく。このまま運転するのは危険だ。
左折して通りの少ない閑静な住宅街へ入り、路肩へと車を寄せた。
それを咎めるでもなく問うわけでもなく、隣の男は静かに話し始めた。



「格好をつけて名刺を置いてきたのはいいが
あの日から携帯は片時も離せなくなった。
君からの着信に気付かなかったらと思うと眠る事さえ惜しいと思った。
こんな事なら君の連絡先を聞いておくべきだったとどれほど後悔したことか。
しかしまあ、後悔したところで見事に振られた訳だしな。
あの状況では無理も無いことだが・・・
慣れない事はするものじゃないという事だな」

「振られたなんて!そんな。あの、違うんです。・・・ごめんなさい」
「何も謝ることは無い。振られた腹いせに仕事でこき使う、なんて事はしない。安心しろ」
「当然です!そんな事したらセクハラで訴えますよ?って、そうじゃなくて・・・あぁもう!」



そんな事が言いたいんじゃないのに!
思いが上手く言葉にならないのがもどかしい。



「でもこれだけは信じて欲しい。俺は遊びで女は抱かない」
「嘘」
「嘘じゃない」
「だって…すごく慣れてる感じがしたわ」
「あの日は、君がいけない」
「私が?」
「あまりに魅力的過ぎて、どうにも抑えきれなかった」



耳元に蕩けそうに甘く囁かれて眩暈がする。
車を停めていてよかった。これが運転中ならどうなっていたかわからない。



「先回は俺の負けだったわけだが、こうして再会したのも何かの縁だろう。
その縁に免じてもう一度君に挑むチャンスを貰えないだろうか?」

「私・・・わからないわ。
貴方のような人にどうしてそこまで想ってもらえるのか、分からない」



エリートで背も高くてハンサムで女性の扱い方もスマートなこの男なら
相手など選り取りみどりだろうし、第一、女の方が放っておかないはず。
そんな人がどうしてこんな普通で地味な私に
これほどまで思い入れるのか不思議でならない。
ご馳走ばかり食べているとお茶漬けが食べたくなる、というアレだろうか・・・。



「君にまた会いたいと強く思った。もっと君を知りたいとも思った。
何をどう感じてどんな風に笑うのか、どんな風に憂うのか。君の隣で見ていたいと」



熱烈なラブコールに心臓がどきどきと忙しなく跳ねて
ひっくり返ってしまいそうだ。ものすごく照れるけれど同じくらい嬉しい。
とても魅力的な申し出に二つ返事といきたいけれど
この人の正体を知ってしまった今は恐れ多くて
とても軽々しく「ハイ、どうぞ」とは言えない。
やはりここは分相応に辞退しておくのが懸命だ。



「私を知ったところで、がっかりするわ。ごく普通のつまらない女だもの」
「俺にとっては特別で最高の女かもしれない」
「私って面倒くさい女なの。やきもち妬きだし独占欲も強いし。呆れるわ、きっと」
「それは楽しみだな。盛大にやってくれ」
「絶対に鬱陶しいと思うようになるわ」
「思わないかもしれないぞ?」
「まったく…ああ言えばこう言う!なんて人なの?!」
「ああ、言うさ。俺は執着心が強いからな。諦めが悪いんだ」
「…もう勝手にしてください!」



本当にどうしてこれほど見込まれてしまったのか。
とびきりのイイ男には違いないけれど…手強いというか何と言うか。
これから先が思いやられる。



「納得してもらえて何よりだが・・・そろそろ車を出してもらえないだろうか」


約束の時間に遅れそうだ、と隣で悠長に笑っているけれど
そんな場合じゃないと思うのは私だけ?


「それならそうと早く言ってください!」と叫んで慌ててエンジンをかけようとしたら
スルリと首の後ろに差し込まれた腕に頭を取られてキスをされた。
いきなりなのに、あまりにも当たり前の様にされたから
呆気に取られて抗うことさえできなかった。



「なにをするんですか!」
「勝手にしていいんだろう?」



言ったのは君だぞ、と不敵に笑うこの男に
私はどこまで対抗することができるだろうか…。



「早く出した方がいい。あと15分しかないからな」
「はい」
「急ぐのは結構だが制限速度は守れよ?」
「・・・はい」



リョーマの時とは別の苦労をしそうだなと思いながら
深いため息を落として、私はエンジンをかけた。




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